
一頭の猫ちゃんが病院で亡くなりました。
体調を崩し、症状が見られるようになったため入院となった子でした。
治療によって状態はやや落ち着き、食欲も少し見られるようになっていました。
私はオーナー様に、
「もう以前のようにモリモリ食べるようになることは難しいと思います。少しでも食べて、少しでも楽に過ごせるなら、それで良しとしてあげてください」
というお話をしていました。
私はこの子の病気がいわゆる完治した状態になるとは考えておらず、残された時間をどう過ごすかという段階に入っていると思っていました。
その日は退院を予定していました。
オーナー様はその日の夕方にお迎えに来られる予定でした。
午前中に退院前の確認を行ったところ、状態が思わしくないことが分かりました。
実際に状態の変化も見られました。
必要な処置を行うと状態は再び落ち着きました。
新しいお薬も開始したばかりでした。
その時点で私は、
「今日は退院を延期した方がよい」
と考えました。
病院で経過を見た方が安全だと思ったからです。
オーナー様がお迎えに来られた際、私はその日の状態と処置内容を説明し、
「もう一日病院で様子を見させてください」
とお伝えしました。
そしてその時の私は、その判断にほとんど迷いはありませんでした。
オーナー様は、
「そうですか。じゃあまた明日ね」
と猫ちゃんに声をかけて帰られました。
しかし、その後急変しました。
手当を行いましたが、救うことはできませんでした。
オーナー様は亡くなった猫ちゃんを抱きしめながら、
「同じ最期なら家で過ごさせてあげたかった」
と何度もおっしゃいました。
私はその言葉に対して、何とお返事をすればよいのか分かりませんでした。
適切な言葉が見つかりませんでした。
今でも私は、あの時なぜもう一日お預かりしようと考えたのか説明できます。
しかし今振り返ると、
私は病状については考えていました。
状態のことも、その時の変化のことも、新しいお薬のことも考えていました。
けれど、
その子に残された時間をどこで過ごさせてあげるのか。
そして、
オーナー様が本当に望んでいたことを、私は十分に汲み取れていただろうか。
そんな問いが心に残ります。
獣医師は病気を診ます。
状態を少しでも良くすることも、苦痛を和らげることも大切です。
しかし終末期の医療では、それだけでは足りないのです。
その子が残された時間をどのように過ごすのか。
ご家族が何を大切にしたいと思っているのか。
そこにも思いを巡らせなければならないのです。
そして今回の私は、それが十分にできていただろうか。
正直なところ、こうしたことは若い頃に先輩方から教わってきたはずのことです。
それでも実際にその場に立つと、病状や治療のことを優先して考えていました。
この出来事について、今もまだ自分の中で答えは出ていません。
ただひとつ言えるのは、
オーナー様が何度も口にされた
「同じ最期なら家で過ごさせてあげたかった」
という言葉が今も頭から離れないということです。
そしてオーナー様は、
「連れて来る前もしんどそうではありましたが、いつものベッドで寝ていてくれたんです。そのことを思うと、そもそも病院に連れて来たことが良かったのかとも思います」
ともおっしゃいました。
その言葉を思い返すたびに、私はただただ申し訳なく思っています。
心よりご冥福をお祈りいたします。
















