もう7月だというのに梅雨なのか梅雨が開けたのかなんだかはっきりしない日が続いていますね。
皆さん自宅への帰り道、特定のある場所で猫を見かけることはないですか、じっとこちらをを見つめていてある距離になるとサッと居なくなる。
「今日も居るなぁ。」と思っていたらある日を境に急に見なくなり、忘れたころにまた居合わせたリ「あっ、よかったー」とか「あれこの前のキジトラとは違うんじゃないか・・・」みたいなことありませんか。
飼い猫さんの自由散歩じゃなく地域猫さんだと思うのですが、雨の日なんかは「今日はさすがにいないよなぁ、どこかで雨宿りしているんだろうな、大変だなぁ」と思うのですが、私には保護をして里親を探すような行動力はなく何もできないので次に見かけた時なんかは「あの子はあの子で自身の知恵で生き抜いていてたくましいやんか、何よりも自由だし。」と何か尤もらしい理由をつけて自分に言い聞かせその場をやり過ごしています。
ある時そういう地域猫さんをみかけ尾崎豊のこの曲を思い出しました、曲名を知ったのはずっと後になるのですが。
この曲と言いますか尾崎豊を知ったのは自身が19歳の時でした。既にデビューから4年くらいたっていたと思います。
当時私は浪人中で予備校の授業料捻出の為に和歌山の実家を出て高槻市の新聞店で住み込みで働いていたのですが、同じように専門学校の授業料の為に働いていた同僚から教えてもらいました。
カセットテープに録音してあったものを聴かせてもらったのかライブのビデオを観せてもらったのか記憶があいまいですが衝撃でした。
音楽的には何も新しいことはなかったと思うのですが歌詞の内容がリアルに体に入って来ました。
もちろん中学・高校生時代にもメッセージ性の強い曲を聴いてはいましたが当たり前の事ですが自身より少し上の世代の方が作詞・作曲されてますよね、おそらくその方が若かった60年代、70年代の頃の気分が反映されてますよね、ですので80年代の肌感覚とは微妙なズレがあったかと思います。あと邦楽では今海外で持てはやされている 松任谷由美などのシティ・ポップも好きだったのですが歌詞的にはおしゃれすぎて田舎の学生には現実感がなくて・・・何だか話が脱線してきました。
とにかくほぼ同世代の人間が80年代の若者が感じていたあのモヤモヤした気持ちを的確に言語化していることに驚かされました、しかもメロディも美しく。
(曲自体はバブル期突入前夜に作詞・作曲されていたと思いますので当時は既に時代感覚に少しズレが生じていたかもしれません。)
曲名は有名な「15の夜」とか「卒業」は理解していたのですがその他は理解せず聴いていました。
その中でこの曲はメロディと「家路」とか「やさしく肩を抱きよせよう」とか「君が悲しみに」とか「子猫のように」などの歌詞が頭に残りました。
(このライブバージョンはバラード調ですが元歌はもう少しアップテンポな曲調です。)
それらのワードが頭の片隅に残っていてそれで後年地域猫を見た時にふと頭にこの曲がよぎったのでしょうね。
当時は、配達、勧誘、集金などの業務で疲れてしまい(私の意志の弱さもありますが)勉強どころではなくなっていたのと、一人で寂しかったのでしょうね(家に明かりが灯ったり帰宅する人を見かける夕方に特に感じました)、そんななんともやさぐれた心の中にこの曲が入って来ました。
私はこのあと大学では洋楽を中心に聴くようになり、尾崎豊を聴いていたのはこの浪人時代からの僅か1年くらいでした。
ですのでこの曲のタイトルはずっと知らなかったのですが、最近このyoutube動画を偶然視聴し知るところとなりました。