ある日、当院に1本の電話がかかってきました。
「当院のブログを見て」とのことで、半年ほど前の出来事になります。
記憶がやや曖昧な部分もありますが、たしかこのような内容でした。
「1か月ほど前からドライフードを残すようになって、ここ1週間はチュールしか食べないんです。
近くの動物病院でFIPの疑いがあると言われたんですが、その病院では治療が難しいと言われて…それで、先生のブログを見つけて電話しました」
といったお話だったかと思います。
FIPの治療薬と当院のスタンス
私はこうお答えしました。
「ブログにも書いていますが、当院で使用しているのはモルヌピラビル(抗ウイルス薬)です。
ただし、この薬の使用については獣医師の間でも賛否があります。
実際は、GS-441524やレムデシビルが現在の第一選択薬として主流になっており、当院のモルヌピラビルはあくまで第二選択薬という位置づけです。
そのため、可能であれば、GSやレムデシビルを扱っている病院に相談されることをおすすめします」
と。
飼い主さんの強い思いが動かした
すると電話口の方がこうおっしゃいました。
「住んでいるのは○○市で、このあたりではFIPに対応してくれる病院自体がほとんど見つからないんです」
○○市というと、当院から150km近く。車で2時間半はかかる距離です。
「手前の市町村にも対応病院はあると思うのですが…」と伝えかけたところ、
「もう近くのインターチェンジまで来ています。猫の様子を見ていると、一刻も早く治療を始めたいんです。これから病院を探し直すのは厳しい」とのお返事。
診察開始前に出発され、開院に合わせてお電話くださったのかなと考えました。
その必死さが痛いほど伝わり、もはやお断りする理由はありませんでした。
胸水型FIP――当院では初めての治療例
到着されたのは、1歳半のラグドールさん。明らかに呼吸が苦しそうな状態でした。
持参いただいた血液検査の結果ではTP(総蛋白)値が異常に高く、症状と合わせてFIPの疑いが強まりました。
胸部のレントゲンは真っ白で、胸水の存在を疑わせる所見。

超音波(エコー)では、ドクンドクンと動く心臓の周囲に、黒いスペース(胸水)を確認。※冒頭の動画です。
少し針を刺して抜いてみると、黄色く粘性のある液体が採取できました。
これを検査センターに提出し、後日「FIP陽性」との診断結果を得ました。
これまで、腹水のたまるタイプ(ウエットFIP)や、腸にしこりができるドライFIPは経験していましたが、胸水型のFIPは初めての治療となりました。
飼い主さんの行動力が命を救った
当日はモルヌピラビルをお渡しし、その後のやり取りは電話やメール中心。お薬は郵送にて対応させていただきました。
日を追うごとに「元気になってきました!」という報告をいただき、こちらも本当に嬉しく思いました。
初診から7週目と、最終の12週目には再度ご来院いただき、胸部のエコーを確認。
いずれも胸水は認められず、最終日にはあの「黒いスペース」は完全に消えていました。
最後に
今回の治療がうまくいったのは、もちろん薬の力もありますが、それ以上に――
「何としても助けたい」と願った飼い主様の強い想いと行動力によるものだと、心から思います。
猫ちゃんも、本当にがんばってくれました。
FIPは治療が難しい病気ではありますが、適切な判断と早期の対応によって、希望が見えてくるケースもあります。
「うちの子、もしかして?」と思われたときは、どうぞお気軽にご相談くださいね。
※モルヌピラビルやGSなどFIP治療薬については、獣医療の現場でも議論が続いています。最新情報や診断方針は日々変化しますので、症状や状況に応じた最適な対応を一緒に考えていきましょう。